日本、なぜ人権問題は保守派のものになったのか
画像出典https://www.worldtimes.co.jp/world/asia/114248.html
人権とは、どこに生まれたいかなる人種であっても平等に保証されるべき権利であると言われていますが、日本国内において、世界で起こる人権侵害に対抗する声を上げるのは、ほとんどの人々は保守派であるという実態があります。
非人道的だという道徳概念はありつつも、それを目の当たりにした人間が政治思想によって声を上げる、上げないという状況判断は不可思議に感じるものです。 なぜ、日本における左派は他国の人権問題に対して声を上げないのでしょうか?
近隣諸国における人権問題
日本という国に住んでいる以上は、近隣諸国における人権問題を知る機会も多くなりますが、多くの人権問題を国内では語る左派も、隣国である中国のウイグル自治区問題や、チベット問題を始めとした基本的人権を奪われる被害者を尻目に、あらゆる方面に対して慎重論、もしくは黙殺が中心であると言わざるを得ません。
主に共産主義と呼ばれる国々が起こす人権侵害には閉口して黙殺をする。 こんなことが繰り返されている原因が、根本にある政治思想であるというならば、被害者という立場に立たされた人間の人権はどこに救いを求めれば良いのでしょうか?
近年、香港の民衆が中国政府と激しく衝突したときであっても、これらの姿勢には変化が見られませんでした。 こと人権問題に関して言うならば、保守派は被害者に共感を覚えて行動に移しますが、左派には共感を覚えるような動きが見えてきません。
政府内でも明暗の分かれる人権問題への動き
現在与党である自民党内の保守系議員らは、2021年12月頃に中国政府が行っている人権侵害、および他の民族の同化政策を懸念する声を上げています。
これらは煮え切らない日本政府の態度を良しとしない「保守団結の会」などが国会内で開いた会合などにより、北京五輪への参加はボイコットするべきであるとの結論に達しています。
しかし、結果的に非難決議案はゆるいものになり、日本は選手団を通常通り派遣しました。 欧米でも意見が分かれた北京五輪への外交的ボイコットは結果的に叶わなかったのです。
もちろん、政治的な思想に関係なく、技術を磨いていたスポーツ選手団に罪はありません。 問題はここでも「なぜ左派はこの問題に関わろうとしないのか?」という部分にあるのです。
日本における左派の矛盾
本来、左派と呼ばれる思想では「自由」「平等」「人権」といった言葉には非常に敏感であります。何故なら、支配や抑圧、身分の上下を含めた平等性をもっとも重要視しているのは左派であり、本来であれば、中国の行っている諸民族への政策は非難すべき対象であるわけです。 ここに大きな矛盾が生まれてしまうのです。
「なぜ隣国で起きている人権問題に対しての共感性に欠けているのか?」 人間には元々「思いやり」という共感性が備わっているにも関わらず、です。
中国が主張するウイグル人への「再教育」は人権の侵害にはならないのでしょうか?北朝鮮による拉致被害者はどうなるのでしょうか?尖閣諸島で繰り返される威嚇や軍事的な行動はどうでしょうか?
数え始めるとキリがないほど、部分的な主張しか見えてこないのが多くの左派であると言わざるをえません。
逆差別という視点
国内に在住している外国人への異様とも言える優遇措置をご存知でしょうか?
全てが当てはまるというわけではありませんが、特に近隣国からの移住者は教育実習への補助金、就業にあたっての援助金、その他、生活保護などの名目で日本人の税金が非常に多く使用されています。
こういった現状について「逆差別」だと指摘する声もあります。言葉の通り、逆に差別している。つまり日本人には適用されない、優遇システムがあるということです。 左派の多くは国内の貧困家庭に問題が起きた時には声を上げることがあります。しかし、根幹にある逆差別の問題にはあまり触れることもありません。
また、これらの指摘をタブー視するという場合もあります。 理由は「国内では絶対数の少ない外国人を差別することになる」からでしょうか?
日本人の人権、平等性は外国人よりも後回しにされているという現状があるにも関わらず、そこには踏み込まないのです。 本来であれば、差別と区別はハッキリと認識すべきではないでしょうか?
踏み込まないのか、踏み込めないのかは正確に判断出来ませんが、少なくともこういった矛盾を抱えていることを忘れてはいけないでしょう。 日本人の人権、平等性は外国人よりも後回しにされているという現状があるにも関わらず、そこには踏み込まないのです。
中国の強硬姿勢に「意見」をしないのは何故なのか?
欧米の多くの国では、中国によるウイグル問題やチベットにおける問題を「重大な人種侵害である」と認識しています。
また、多くの国際的な人権団体も同様の姿勢であり、声明を出すに至っています。 人権という権利を奪われやすい少数派に対するヘイト行為に対して、日本での意見を発信するのは保守派であり、これは尖閣諸島に関わる問題に対しても同じ姿勢が伺えます。 実際に、ここ数年間においてチャイナマネーの流入は右肩上がりであり、北海道などでは多くの土地が中国企業に買い占められるという状況です。
一部、政府の保守系議員には現状を認識した上で危機感を募らせている方々もいらっしゃいますが、同じ共産主義という思想が優先的になっているのか、左派の動きは国防や危機管理という意識が薄いと感じている方も少なくないでしょう。
一時的な中国の経済急成長に飲まれた結果なのか、それとも根幹にある「共産主義こそ正義である」という思想共有が原因かどうかは不明ですが、少なくとも海外における人権問題に対して日本国内の左派は大きく動くことがないのです。
中国による強硬姿勢は何も今に始まったことではありません。 古くは第二次世界大戦後、満州民族などは混血化によって民族としての血脈を絶たれており、南モンゴルでも同じようなことが繰り返されているのです。
これらは一種の同化政策であり、古くから繋がれてきた人種の存在を否定する行為に他なりません。
日本も例外ではない状況にあることを忘れてはならない
昨日、ロシアのプーチン大統領によるウクライナへの侵攻が始まりました。
日本政府も欧米の動きに同調して制裁に乗り出していますが、中露はいわば共同戦線であり、戦場からは離れた日本も今後、中国の動きに対しては、より一層の警戒が必要になってくるでしょう。
日本は人口密度も多く、先進国には数えられていますが、国土は狭く、戦う術を持っていない国です。こんな状況になってまでも左派の人々は「海外における人権問題」に対して閉口を貫くのでしょうか?
現在は局地的であっても、一度燃え広がった炎は消し方を間違えると大きな火事に発展しかねません。いつまでも対岸の火事として眺めてはいられない状況なのです。
これら左派が人権問題の中心にならなくなった大きなキッカケとしては、最初に日本の敗戦、その後の朝鮮戦争の勃発、そして何よりも米ソ冷戦時における日本の立場も関係していると指摘している政治学者も少なくありません。
当時は事実上、アメリカの傘の下にあった日本には選択肢がなかったとも言われています。
しかしながら、政治的思想をしっかりと主張するのであれば、本来の左派の中心問題である人権の侵害にはもっと積極的な姿勢を取るべきだと考えられはしないでしょうか?
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